発祥

発祥に関わる詳しい記録は残っていません。

最も古い記録

天和3(1683)年本願寺より認可
本尊の阿弥陀如来立像
江戸幕府第5代将軍 
徳川綱吉の頃

明治24(1891)年に岡倉天心らが中心となって行った宝物調査の監査状が添えられています。

宝永7(1710)年本願寺より認可
親鸞聖人・聖徳太子・七高僧・良如上人の絵像 

親鸞聖人(しんらんしょうにん)
聖徳太子(しょうとくたいし)
七高僧(しちこうそう)
良如上人(りょうにょしょうにん)

江戸時代

釋 義門 
京保5(1720)年〜宝暦6(1756)年
記録の中で最も昔の住職
江戸幕府第8代将軍 徳川吉宗の頃

その後の住職

釋 寛海 
宝暦6(1756)年〜13(1763)年
釋 嶺雲 
宝暦14(1763)年〜明和6(1769)年
釋 僧仙 
明和7(1770)年〜天明2(1782)年
釋 諦順 
天明3(1783)年〜寛政11(1799)年
旧本堂を建立
釋 恵順 
寛政11(1799)年〜文化5(1808)年

旧本堂棟札
旧門
旧本堂
旧本堂

釋 恵真 
文化6(1809)年〜安政6(1859)年

河内丹南郡南野田村西宝寺
曻道の次男
前住職の養子

この頃から、寺子屋を営んでいた

令和2(2020)年10月2日 南野田の西宝寺を参拝いたしました

釋 恵明(のち流情) 
安政6(1859)年〜明治33(1900)年

前住職 恵真の三男
俗名 橘堂流情
(きつどうるじょう)

須弥山儀図附録

仏教の宇宙観の須弥山(しゅみせん)説の流布に努め、堺市北花田町ある阿坂墓地(あさかぼち)に「須弥象碑(しゅみぞうひ)」と呼ばれる碑を建立した。

万延元(1860)年 
『懐中時辰儀示蒙』出版 
『掌中時辰儀示蒙』(高橋景保著)の写本
明治8(1875)年  
『懐中便利帋時計』出版
明治18(1885)年 
『須弥山儀図附録』出版

明治6(1873)年 正覚寺に「泉州第七番小学校」開校
のちに、堺市立五箇荘小学校になる。
明治8(1875)年「船堂小学校」と名称を変更。
明治11(1878)年現在の新堀公園の場所に移転。
明治15(1882)年「船堂小学」と名称を変更。
 

須弥山儀図附録 奥付
須弥象碑
堺県からの教員免許状
船堂小学の時代の卒業証書
橘堂流情の写真

釋 峻造 
明治33(1900)〜昭和15(1940)年

前住職 流情の実子

釋 宣正 
昭和15(1940)年〜昭和19(1944)年

古室 妙雲寺 藤岡義見の次男

前住職 釋 正純
昭和19(1944)年〜平成2(1990)年

前住職 宣正の子